風土木の家 かわら版 椽大

仲間たちのコラム 椽大(テンダイ)
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VOL.5 ふるさと一番

「それぞれのふるさとに、それぞれの一番がある。」
某テレビ局がお昼の放送で発するキャッチフレーズであるが、改めて噛み締めてみると、なかなか味わいのある言葉である。我がふるさとも、さて何が一番なのかと自問してしまうところが味噌なのであろう。
 先日の放送では熊本市川尻地区が取り上げられた。400年前から栄えた古い町並みのある土地だが、町の起こりは職人町らしい。プラスチック成形品などなかった時代、生活の必需品である容器は木製品であった。それを造る職人は桶屋と言い、川尻では良質の桶が生産されていた。桶屋が良い仕事をする為には、道具をフォローする刃物が必要となってくる。町には桶屋につられて、すぐれた刃物屋が誕生してきた。桶や刃物が地場産業として成長してくるとそれを商う商人が財を成し、町自体が発展する。全国各地に小京都といわれる地域が存在するが、小京都と云われる地域には少なくとも独自の文化が生まれている。それは工芸であったり、芸能であったりするのだが、川尻でも町に訪れる人を饗応するための和菓子製造や、華やかさへの憧れを満たすための染色が産業として派生している。
 「風が吹けば桶屋が儲かる。」という言葉はよく耳にするが、桶屋が儲かれば町が元気になるという話は初めて聞く。これは見事な職業連鎖の代表例であろう。(豊田市や日立市なども一企業を核とした職業連鎖と言えなくもないが、自然発生的相乗効果の点で異質である。)
 町の発展にはさまざまな形態(門前町、市場町、宿場町等)があるが、村おこし町づくりには、キーワード、キーパーソンが重要であると言われている。我が故郷には何があるだろう、滋賀には大きな琵琶湖がある。水不足に悩まされることのない安心と、風光明媚な自然環境にとっぷり甘えているような気がしてならない。生活する上で厳しい環境の人達はたくましく創造的に知恵を働かせている。そうした努力があるから、他へ発信できる情報や、人を感動させる生き方が生まれるのではないだろうか。滋賀県では琵琶湖という大きな水がめが、個人で水を大切にしなくてもいいほど贅沢をさせてくれている。滋賀の山を守らなくても特別に不自由はしていない。しかし見えない所でぢりぢりと自然は悲鳴をあげている。
町づくりのキーワードに今や「自然を守る」をなしには考えられない時代となっている。自然を守ることが自分の暮らしを守ることと、切迫して考えられない豊かさは本物の豊かさといえるのだろうか。ほどほどに裕福で、自然災害も少ない、いわば暮らし易い滋賀で生活の知恵を絞ることの困難は贅沢と言えるだろう。しかし一歩進んで考えてみよう。
本当に自然と共生しているだろうか。
真に人間らしい生活をしているだろうか。
物の豊かさから心の豊かさの時代といわれて久しいが、相変わらず我々は経済的に、物質的に窮々としている気がする。東京砂漠とまでは言わないが、潤いのない生活からなかなか脱し切れないでいる。何が欠けているのだろう。全く経済的に困窮していては話は別だが、こだわりであろうと思う。生き方にこだわり、物にこだわる(ブランド物にこだわっている人がいるが、単なるブランド名ではなく価値を評価できることが重要であろう)、例えばプラスチックの桶ではなく桧の香りがする木桶が楽しめたら、人生はどんなにか豊かであるような気がする。その最たるものが住まいであろうと思う。自然と触れ合える環境で、こだわりの家に住み、人間らしい生き方をする。そんな夢をかなえる為に誰もがキーパーソンになり、こだわりの町づくりを推進すればその豊かさが、それぞれの一番である。川尻の町の豊かさはそんな職人たちの思いが今に活きづいているような気がする。こだわりが町を変えます。山を元気にし、湖をよみがえらせ、地域の人の心を豊かにします。私たちは地域の誇りを発信していかなければならない。
                               文責 川副宇八

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VOL.4 環境ビジネスに?

環境ビジネスに?

先日、日本郵便が製紙会社に発注した年賀はがき(再生紙はがきとかかれている)には40%の古紙が含まれているはずであったのだが、実際には1〜5%しか配合されていないという事実があきらかになり、マスコミをにぎわしていた。私たちは環境にやさしいとか、地球の温暖化防止ということばに弱く、企業も頑張っているんだと思い込んでそこに「明けましておめでとう」としたためていたのである。重ねて、再生紙100%とされていたコピー用紙には全くふくまれていないものもあり、このことをエコ偽装、環境偽装と報道していた。昨年は「偽」という文字が世間を騒がせていたが今回の偽装は少しその意味合いが違うように思えてならない。「21世紀は環境の世紀」などといわれ京都議定書の批准やCO2排出の削減など公害の時代を克服してきた日本にとっては先進の技術を発揮できる時代になったというべきところであった。しかし、実際にはどうであったのか。
 滋賀県では10年以上前から、毎年びわ湖環境ビジネスメッセと銘打って長浜ドームに250社を超える企業が参加し3万人以上が訪れる催しものが行われている。去年、この催しにちょうどの雨をチャンスにと見に行く機会を得た。メインはよくテレビでもCMをながしている企業が大きな場所を占めこの製品こそが環境にやさしく省エネをすすめるとキャンペーンをはっている。次には、大学や県などが環境に関する様々な研究成果を発表していた。また、グリーン購入のコーナーもありエコの製品が並べられていた。周辺部には、小さな企業がそれぞれの視点で開発した商品をアピールしている。面白い物もありサンプルをいくつか持ち帰った。実は、風土木の家にも何か参加できるチャンスがあるのか、セミナーの題材になるものがないか、講師となってもらえる人との出会いもと欲張りな思いもあったがそこまではいかないままであった。 
 東近江市建部堺町に増田洲明さん(法泉寺住職)がおられる。この増田さんは前に私がいた職場の上司だった人なのだが20年ほど前から”おわび紙”に書をしたため発表してこられている。
   すいじんさん   むかし おとなが 子どもらに、 川にションベをしたら         
   水神さんが 罰をあてられるぞ、 と教えた頃の 川の水は 美しかった。

   生活が 楽でも ないのに、 新車を 買い ました。 乗って いると、 
   少しだけ たのしい です。

“おわび紙”はかきそんじた紙、さい銭の包み紙など燃やされていた紙を自宅で漉きなおしたもので紙のいのちを捨てていた自戒をこめて”おわび紙“と名づけられたそうである。その中に、生まれきた子を
  
   さずか りもの。  あずか りもの。

との言葉がある。昔から子は授かりものといったが、それはかえせば自分のものという意味を超えず、ややもすれば親のエゴが子育てに向かいそうである。一方、あずかりものという言葉には、いつかはお返しする、育てさせてもらっているという意味があるように思われ、私はこのことを”自然”におきかえることも大切だと考えている。自然はあずかりもの、未来にかえしていくべきもの、自然に負荷をかけることはできるだけやめたい。 
 自然環境をどのようにとらえるのかはそれぞれ違うと思うのだが前述したような環境を直接ビジネスにむすびつけるようなことには納得がいかない。環境はその中に人間があり、その中にしか生きられず、その恩恵に少しだけあずかり、又返していくことによってのみ生きながらえていけると思っている。

   人間だけが 幸福に なろうな んて ムシがよ すぎるわな。

                             森  信一  
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VOL.3

湖東地域から東近江地域にて四方に目を向けると、伊吹の頂きを北に鈴鹿の稜線が青空の下やさしいスカイラインを見せる。いつも目にするごく当たり前の風景だ。少し山すそを登れば琵琶湖の湖面が白く輝いて見える。湖面はあくまでも静かだが、ザーザーと人間が命を宿す時の音を連想させる。今は紅葉の季節、山肌は紅や黄に染まり、針葉樹の緑と競い合いそれぞれの生命を主張しているかのようだ。
 耳を澄ましてみよう。高速道路にはじまり、幹線道路を走る車のエンジン音が否応無しに耳に飛び込んでくる。車社会の中、これほどまでに私達の耳を支配している音に何も感じることなく、当たり前のように認めてしまっている現実にあらためて驚く。私の少年期には町工場の機械音や作業に精を出す職人達の声が威勢良く響き、生活感溢れる音が心地よく耳に届いていた。少子化のせいか、外で遊ばないせいなのか、子供達の歓声も聞き取れない。
じゃあ、鼻を利かせてみよう。いま、においとして受け止められるのは何ですか?土のにおい?花のにおい?「これは自然のにおいだ!」といえるくらい、はっきりと心地よいにおいや香りは見つからないのではないでしょうか?本当はいやな排気ガスのにおいであったり、インクやシンナー臭い雑多のものが混ざり合った変なにおいなのでは?「新車のにおいって、いいですね。」なんて、本当に・・・?現代は人間の五感が鈍くなってしまって、本質の見極めが出来なくなっているように思えませんか?

 ずいぶん以前から松の木が枯れ、次にはナラが枯れだした。杉の木だって枯れだしているという話があります。すべて「○○虫のせいだ」と言って空中散布に大金をかけたにもかかわらず、被害はとどまることを知りません。だって、「○○虫のせい」ではないのですから。経済成長は人々の生活を潤した反面、作り出された酸性雨のために土壌がことごとくやられ地力を奪い、動植物に甚大な影響を与えてしまいました。これは自然に生かされていることをすっかり忘れてしまった結果です。琵琶湖も湖底には無酸素状態の部分が拡がり、そのことが生態系を大きく変化させようとしています。
 我が家には、薪ストーブがあります。柔らかくゆらゆらと燃える炎は、パチパチと薪がはじける音と共に暖かな空気を運んでくれます。
 若者達は携帯電話の着メロを溜め込み、I-podをポケットに納め、音楽を聴きながら通学する。季節の鳥や虫の音には興味を注ぐチャンスもなく人工的につくり出された音の世界を自ら選んでいるようだ。
 本当の果実や野菜のにおいって分かりますか?もぎたて、採れたてでないスーパーの売り場で・・・。これでは、味覚も嗅覚もにせものでしょうね。
たらたらと現実を批判しましたが、多くの方がハイスピードで揺れ動く社会に「これでいいのかなぁ」という思いを寄せているのではないでしょうか?
 2001年元旦の新聞にこんなことが書いてありました。21世紀は“人間回帰の時代”であると。20世紀、大きな戦争を軸に復興を成し遂げ、高度経済成長をもとに豊かな生活を手に入れた。技術の進歩に支えられた快適な生活。そんな時代の勢いに酔うかのように、家造りも工業製品に置き換わり、流行を追うデザインと見かけの良いものが優れたものであるかのような時代になりました。このことが他方では、大規模な自然破壊をまきおこし私達に恩恵を与えてくれる自然へのひどい仕打ちとなる。CO2の増加や地球温暖化はもはや世界中で手遅れの状態だ。“つけがまわった”といえよう。

私達にできることは?
私達は家を造るという行為において、効率の判断ではなく“こうしたい、こうあるべきだ”という責任ある意識の上に立ちたい。安心安全な、そして山や海などの環境保全に直接寄与できる地域材を少しでも活用し、その地に根付く家造りの技術を延ばし守っていくことが目前に迫る環境問題にかかわるひとつの方策だと考えています。

文責  川村 勝美
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